「チャーリーとチョコレート工場」

公開日に見に行った。何、この期待感。パンフレットも買った。何、この盛り上がり。
わくわくして見たら、おもしろかった。画面が鮮やかでよかった。チョコレート工場内とかは、まさに、って感じ。なんていうか、いかにも、ティム・バートンぽくて、よかった。まあ、自家撞着してなくもない気もするんだけど。
ジョニー・デップらしいというか、ああいう変な役はすごい合うなあ、と改めて思った。全然気持ち悪くない。かわいいし、かっこよく見えて、味を出せるんだもんなあ。
だからこそ、もっと、ウォンカの個性を出して欲しかったなあ、という感じがする。個性、というか、もっとズレた感じ、ていうか。
最後の父親との関係回復みたいなのも、取って付けた感がして、あまりしっくりはこなかったなあ。もちろん、じゃあ、その親子のエピソードが丸々いらなかったかと言えば、全然そんなことはないんだけども。
でも、原作が子供向けだからといって、そこをさらっと簡単に消化すればいい、ってもんでもないと思うんだよなあ。なんていうか、ウォンカが変人、というか、あの変さを押し出すなら押し出すで、回復の仕方とかは簡単に申し訳程度に入れておけばいい、ってのはなんていうか、もったいなさすぎるし、緩い気がする。

でも、それでも、おもしろかった。感動する場面もあったし、これはこれで充分によかったんじゃないかなあ、と思う。あと、チャーリー役の子がかわいかった。
あと、(原作に忠実なのかもしれないけれど)あれほどのウンパルンパ推しは、結構おなかいっぱいだと思う。なんか、違うかもしれないけど石井克人の我修院推しみたいなのと被る気がした。どや? 感が強くて、ちょっと、辛いです。おもしろくないのと、おもしろいのが麻痺するのとは全然違うと思うし、してやったり、みたいなのは、あんまり個人的には好きじゃないです。たくさん見すぎたせいで、ウンパルンパなんでんかんでんの人とか目覚ましテレビの大塚さんに見えてきた。
あ。それがおもしろいのか。なら、おもしろいや。

まあ、ウンパルンパ若人あきら問題は置いといて、純粋に楽しめる映画だったと思う。ジョニー・デップもっと見たい。

「奥さまは魔女」

まあ、なんていうか、二重構造は単純におもしろいんじゃないのかなあ、と思う。奥さまは魔女のリメイクを魔女が演じる、という。もちろん、オリジナルが認知されていない状態でも(世代的なことも含めて)、その二重構造がおもしろくないと意味がないわけで、単なる、ドラマを知っている人にはわかるでしょ、だけなノリではつまんない、とは思うけれども。
そういう意味では、よかったんじゃないのかなあ。おもしろかったと思う。
もちろん、どうやったって、話の展開は見えているわけだし、複雑なストーリーを見たいわけでもないので、ひねりも何もいらないわけで、ある意味では、いかにチャーミング(言葉の意味はわからないが)なニコール・キッドマンを見せられるか、というところで、とても良かったと思う。まあ、笑えるわー、とかそういうのはいかにもアメリカンなノリだけども(マイケル・ケインの登場とかさ)、あんまりうざったくは感じなかった。なんていうか、おもしろかったと思う。というか、かわいかった、というか。あの歳でよくやるよなあ、という印象もなかった。ほんとに。

というわけで、まあ、なんていうか、いらいらせずに、ほんわか(言葉の意味はわからないけれど、これこそわからないけど)とした気分で見れるよ、多分。って感じです。

「ケータイ・ストーリーズ」バリー・ユアグロー

ケータイ・ストーリーズ

ケータイ・ストーリーズ

もうユアグローの小説は読みたくない。そんな気持ちになった。なんていうか、お腹一杯。特にこの本に入っているのは、かなりしんどい。

ユアグローの悪夢的な世界は、本当におもしろいし、すごい刺激的なんだけども、悪夢も同じ者を見続ければ悪夢じゃなくなるように、なんていうか、飽きちゃう。
本当におもしろいからこそ、なんか、もったいないなあ、って思うのだ。なんていうか、手垢のついた世界観は見たくないんだよ、っていう。うーん。
日本だけに、書き下ろし、しかも携帯に配信、という形で書かれたものらしいんだけど、その方法論はおもしろそうだし、将来的には期待がもてるかもしれないけれど、今の形では、なんていうか、中身自体は合わないような気がする。携帯で小説なんておもしろいのかなあ。もちろん、短い文章の中で圧倒的な世界を見せてくれるユアグローの作品でもつまんないからこそ、そう思う。ほかの作家なら尚更無理な話なんじゃないかなあ。
だからこそ、ちゃんと、おもしろいのを読みたかったなあ。というすごく贅沢な文句を言いたいのだ。もちろん、中にはおもしろい話もあって、すげーのもあっただけに、外れが大きくて、大きくて、悲しい。
けど、ユアグローのこのフットワークの軽さ、というのはすごいなあ、とは思う。こういうことも糧になって、次の話に活きてくるわけだろうし。だからこそ、この形で、いつもの感じ、ユアグロー節、というのは、僕にとっては、かなり苦しかったです。

お腹一杯になったから、また違ったアプローチのユアグローの作品が読みたいです。かなり。まじで。

「東京奇譚集」村上春樹

東京奇譚集

東京奇譚集

こういう青臭い言い方をいつまで経ってもしてしまうわけだけど、できることならば、ずっとずっと村上春樹の小説を読んで過せたらなあ、と思う。新作やら昔のやらどれだけ読んでも読み尽きることがないほどあふれていたらなあ、そんな時間があったらなあ、なんて。わあ、言ったら言ったで思った以上に恥ずかしいよ。
もちろん、読書というのは、その本を読んでいない時間も含めての行為だ、という言い方もできるかもしれない。だからこそ、新作を待ち焦がれて好きな過去の作品を読んだり、ほかの作家の小説を読んだり、全く小説から離れてみたり、そういうリズムがあるからこそ、新刊を読む喜び(その後にままある失望も含めて)ってやつは大きいのだ、というのももちろんわかる。だけど、だけど、それでも、読みたいなあ、読み続けたいなあ、という欲張りな気持ちは村上春樹に関しては尽きることはない。

んー、なるべく、好きな気持ちをこめすぎないように書こうとは思うんだけれども、充分に、いわゆるミーハー的な物言いになってしまっているのは、重々承知しておりまする。だいたい、春樹ファンなんかにまともに本読むやつなんているのかよ、というアンチ的な気分もわかる、ような気がする。だからこそ、トーンを抑えて書きたいんだけど、そうできていないのは、多分、読んだすぐにこれを書いているからで、そして、僕にとっては、かなり、新作がおもしろかった、という理由にもよるんじゃないのかなあ、となんとなく思う。

という、すげーなげー前置き。

書き下ろしも含め、全部で5つの短編が載っているんだけれども、どれもおもしろかった。まあ、僕は春樹の作品の中でも失敗作じゃないのか、というようなものまでも、というか、ほとんどの作品をおもしろかった、と結構真顔で本気で言うから、こういう言い方もまともじゃないのかもしれないけれど。
まあ、かなりまともな短編を書くなあ、という印象がある。特に今回のは、最初の話は、なんていうか、とても、短編っぽい。うまく言えないけれど、かなりど真ん中、というイメージがある。なんていうか、村上春樹が書かなそうな話だなあ、というか。もちろん、文章も、最初の導入部分だとか、この話は人から聞いた事実だという構造(それが嘘という意味でなく、それをわざわざ説明をする、という意味で)、そういうものは確かに村上春樹っぽいんだけど、なんか、すごく真っ当なことを書いている感じがした。それが悪いんじゃなくて、かなりおもしろかった。意外というか。少しだけ、いつもの村上春樹のものとは手触りが違う印象を受けた。

僕は、2つ目の作品が特に好きだと思った。なんていうか、主人公の女の人のキャラが好きだ。若者との会話がなんかいいなあ、と思う。なんか、いかにも、な会話なんだけど。でも、2つ目の作品の余韻みたいなのは好きだ。

品川猿」は、なんていうか、これって、どういうことなんだろうなあ、と思って読んでいたら、最後で、普通、説明しないはずのところを説明していて、その説明する存在自体が、かなり象徴的で、なんの説明もなくて、こっちはただ与えられているだけで、距離感がすごく不思議だった。いつもなら、ふんわりと残されていたものが、あえて、説明を与えられたことで、その説明を与える者(この場合猿だったり、カウンセラーの人だったりするんだけど)の地に足のついていなさ、脈略のなさ、いかにも象徴っぽい、メタファーとしての存在ばりばり、というのが、最後まで不思議だった。変な話。おもしろいけど。品川猿、だって。

まあ、どれもがおもしろかったです。読んでいる間は、すごく幸せな気持ちになりました。ああ、また早く読みたい。

やわらかいおにくたちの祭典

いよいよ秋めいてまいりました。すごしやすい季節です。嬉しいです。すでに栗ご飯を食べました。ぎんなんもいれました。なんか、黄色じみていました。ジャーの中が。ジャーの中で。

「歯ぎしり球団」吉田戦車

歯ぎしり球団

歯ぎしり球団

結構前に連載していたのがようやくまとまって出た、ってことらしいんだけど、初めて読んだら、すごいおもしろかった。もう全然野球漫画じゃない。当たり前だけど。
これをシュールと言うのは簡単なことだけど、この人の漫画は不条理だとかシュールだとか、そういう枠組でとらえられないんじゃないかなあ、と思う。別に、今更、吉田戦車って不条理、なんて言うことも思ったりもしないのかもしれないけれど。

自分で言っておいてなんだけど、そんなことは関係なく、この歯ぎしり球団はおもしろいなあ。吉田戦車の馬鹿馬鹿しさがよく表れていて、笑った。少し前に「なめこインサマー」というエッセイ集みたいなのも読んだんだけれど、やっぱりこの人が描く文章もおもしろいんだなー、と思った。
さすがだ。

歯ぎしり球団は10年ほど前の連載なのに全然古くないし、今でも充分におもしろいと思う。伝染るんです、とかはなんか、逆に風化して感じやすいんだけど(比較的には、ってことで)、それでもおもしろいなあ。初見だから、とかそういうんじゃなくて、なんか、このアンチストーリー的な感じと、いわゆるわけのわからない馬鹿馬鹿しさ、みたいなのが相俟って、ある意味では最高の野球漫画になっている。

「シガテラ」6巻 古谷実

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

最高で最低の終わり方だった。それが素晴らしい。古谷実はすごいなあ、と最初から最後まで思わされっぱなしだった。古谷実が次にどんな漫画を描くのか、本当に楽しみで仕方がないよ。

最初に、最高で最低の終わり方というのは、なんていうか、個人的な思い入れで言えば、主人公と南雲さんは別れて欲しくなかったなあ、という、そういう気持ちがあって、だけどそれは全然リアルじゃない、あり得ない馬鹿げたハッピーエンドなわけで、シガテラがおもしろかったのは、そういうリアリティというかストーリーの説得力、のようなものをずっと一貫して描いてきたからなわけで、それが最後の最後でひっくり返る(南雲さんと続いている)となると、シガテラシガテラじゃなくなるし、古谷実古谷実じゃなくなると思う。だからこそ、あの終わり方は、もしあのタイミングで終えるとしたら、シガテラとして、最高の終わり方なんだ、と思う。

シガテラには最後までどきどきしっぱなしだった。ダメさや真面目さや可愛らしさや馬鹿さがいちいちリアルでとてもうねりがあって、本当に気持ちが揺さぶられる漫画だったなあ。