女音茶碗というかなんていうか

例えば、CDを買いすぎると、単純計算で、1枚あたりの聴く時間というのは、どんどん減っていく。
そして、好きな曲が多すぎても、好きな曲のはずなのに、どんどん一曲を聴く数は、減っていく。
そういうことがもどかしいながらも、CDを買うことはやめらないし、好きな曲はどんどんと増えていく。


僕は、女性アーティストの曲を、あまり聴かないし、好きな人もそんなにいない。女性アーティスト、という括りをすることもおかしいと思うのだけれど、そういう角度から見てみると、そういうことになる。


きっかけは単純で。女音茶碗で伊藤サチコさんのライブを見て、なんだか、よくわからないけれど、心が動かされて。そのメロディーが変に頭に残って。1ヵ所のフレーズが頭に残って。
理由もまた単純で。そしてその理由を、彼女のことを知れば知るほど、理解できて、とても心動かされて。

すごい簡単なことなのだ。いい曲。いい歌。
それを生み出す姿勢もまた、すごくて。


誰よりも、自分の曲のことが好きなんだ、と思う。どんなアーティストよりも、自分の曲のことをいとおしく思っているし、そのことを心から実感していると思う。だからこそ、生で聴いた時の、ひりひりした感じや、表情のある歌声やメロディ、そして、その歌っている姿に、心を打たれるし、もっと言うと、共感する。すごいチープな言い方をすれば、共感する。
そういう姿勢、ってすごいな、って思う。本当に音楽が好きなんだ、と思うし、そのことを信じている。
音楽の力を信じているんだな、って思う。迷いながらも、信じているんだな、って思う。


もちろん、こうしたことは僕の感想でしかなくて、伊藤サチコさん本人がどう思っているかは分からない。当たり前だけど。
でも、そういうことを感じさせること自体、すごいことで、そういう状況を含めて、素晴らしい、それぞれの、ミュージックライフ、ってやつだと思うし、僕は彼女の曲が本当に好きだなあ、って思う。


本当に、今日の、ライブでの、伊藤サチコさんの表情が、すごくリアルで、すごく心を打たれて、バンド編成とか、初めてライブで聞いた曲、とか、そういう具体的な要素はいろいろあるんだけれども、全体として、その佇まいと表情と、心地良い空間、そうしうたものを作り上げる雰囲気、というものに、湯当たりのようにあてられてしまって、すごく呆然とした。
感動したけれど、感動した、ってチープに言いたくない。ってくらいに。
泣くだろうな、って思ったけれど、ほんとに、あらゆる感情とか、言葉とかを失わせるくらいに、心を動かされて、泣きもしないし、笑いもしなかった。
鳥肌とか立つ間もなかった、というか。全部が、リアルで、生きていて、本当に、ライブ、ってすごいなあ、って思った。
音楽って、すごいなあ、って思わされた。


そんなライブでした。技術的なことは全く分からないのだけれど、相変わらず、素晴しくて、リアルで、すごすぎるライブでした。なんか、突き抜けている、というか、圧倒的、というか、そういう感じでした。それが、自然体に出来て、とてもいやみじゃないから、すごいよなあ、って思う。アーティストの与えるものをありがたがる、とかそういう状況、って、時にうんざりするけれど、そういう感じをまるでさせない、っていうところが、すごいなあ、って思うし、それもまた、自分の好きな自分の曲を、心をこめて、歌っているからだと思いました。


終わった後、サチコさんに少しだけ挨拶させていただいたのですが、すげー緊張した。すげー緊張した。
連呼するわ。むちゃくちゃどきどきした。
やっぱ、僕、ファンじゃん、って思った。


間接的にだけど、関わらせてもらって、むちゃくちゃ嬉しかったなー。東京バスケ、ってなに? って感じだけど。自分で。おこがましすぎる感じがして。すごくすごく。