「エターナル・サンシャイン」

チャーリー・カウフマン脚本、ということで、これはもう、まじで、むちゃくちゃ期待して見に行った。なんていうか、以前、劇場で見た予告の映像も、すごいぞくぞくするような映像というか雰囲気だったから、まじで楽しみだったのだ。
カウフマンとミシェル・ゴンドリーのコンビの作品といえば、「ヒューマンネイチュア」があるけれど、これも、好きと言えば好きだ。好きと言えば好き、だなんて、かなり曖昧で、まどろっこしい言い方なんだけれど、なんていうか、この作品は、かなりあざとい感じではあるけれど、やっぱり設定は興味が湧くし、中身もいやらしい部分を描いていて、そういうところもおもしろくて、見ながら、この話は、どういう風になるんだろうなあ、というわくわく感があった。

というわけで、エターナル・サンシャインは、非常におもしろかった。本当に、良かった。カウフマン、まじですごい。って感じ。映像もすごい良かった。心に響くような、いくつか素敵な場面もあった。ネタバレになるかもしれないけれど、主人公のジム・キャリーの記憶の中で、必死で記憶を失われないようにと恋人と逃げまわるシーンが印象的で、とても良かった。その中で、子供の頃の雨のシーンとか、なんだか、不思議と涙が出そうになった。それくらい、じんわりとくるような映像だった。あと、やっぱり、最初の恋人のシーンとの絡みの記憶(海のシーン)とかは、ぐっときた。素敵だなあ。カウフマンらしい、すごいいやらしい部分というか、人間のエゴというか、アイロニー溢れている感じや、単なるブラックユーモア(こうして文字にすると、ブラックユーモア、って、すごい陳腐な響きがあるけれど)が散りばめているところは、すごい好きだなあ。見ていて、ぞくぞくする。そのような悪趣味に満ちた設定の中で、右往左往する様子が、あり得ない設定なのに、気持ちの動きがかなりリアルに感じるので、見ていて楽しい。おもしろい。

映画全体の構成もよく出来ているなあ、と思う。最初にジム・キャリーケイト・ウィンスレットと海辺で出会って、すぐにお互いに惹かれていく、という、すごいあり得ないような早い展開で進むこととかも、きちんと理由があって、その後、時間が変わって、どういう展開になってしまったんだろう、というよくわからない中で話が進んで行って、徐々にはっきりとしていくところ、それに絡めて、記憶の中での恋人とのやりとり、記憶を消されまいとあがきながら、過去の思い出とシンクロしていく過程とかは、本当にわくわくしてくる。

そして、特に印象的で、すごいいいなあ、と思うのは、最後の場面で、以前付き合っていた時の記憶をなくす前の、お互いに相手の悪いところをああだこうだ、ここが嫌だ、頭が悪い、付き合っていたくない、などと(記憶を消してもらう医者に)話しているテープがバックに流れながら、好きだのなんだの言うシーンだ。あのシーンがあるからこそ、単純なハッピーエンドとならないところがおもしろいなあ、と思う。そういうお互いがいやなところを抱えながらも、前提としてそれでも構わない、と受けとめながらも付き合うこと、それで、また記憶を消そうと思うのか思わないのか結構あやふやで、ハッピーエンドに辿り着きながらも、どうなるのだろう、と考えさせる余韻が残って終わるのはいいなあ、と思う。ある意味では、スタート地点に戻っていながらも、立ち位置は変わってない、みたいな、そういう終わり方は、すごくおもしろいと思うし、そういう話が好きだ。

とにかく、とてもおもしろかった。カウフマンの作品で、こんな感動するとは思わなかった。でも、悪意とか、人間のいやらしい部分を描ける人は、感動的なものも描ける、ってことなんだろうなあ、とつくづく思う。それでいて、カウフマンらしさ、というのが全く失っているどころか、前面に押し出されていたから、ほんと、言うことないです。記憶の中での他人というのは、あくまでどこまで自分の意識やら主体性やらから自立しているのだろう、というか、そもそも、目の前いる他人、という者以外の他者、というものだって、その存在は、自明なものなのか、わからないよなあ、みたいな、適当な曖昧なことを思うと、ぼんやりしてきて、そういうぼんやりした心地もまた、良かった。
まあ、なんていうか、むっちゃ好きです。