「海辺のカフカ」 村上春樹

はっきり言って、すごい恥ずかしいのですが、村上春樹が好きだ。しかも、かなり好きなのだ。春樹好きは気持ち悪い。は、もはや一般認識されていることかもしれないけれど、それでも、そんな弊害や迫害にもめげずに、春樹が好き、と案外しっかり公言している。
昔はもっともっと好きだった。今でも1番好きな作家の1人だけど、昔は僕にとっての全てだった。ほんとに。読者にそう思わせることが村上春樹を忌み嫌ったり、読者を気持ち悪い、って感じる理由の一部でもあると思う。だけど、そう思わせる何かはあるのは確かで、それがただの雰囲気にしか過ぎない、中身はゼロだ、と言われたところで、中身がゼロかどうかは問題じゃなく、その感覚的なところ、ふわふわしたところ、現実的には捉え切れない部分、というものに読者は強く惹かれるのじゃないかな、って思う。つまりは、メロメロになるわけだ。もちろん、村上春樹は彼なりに自分の方法論、小説論、というものを丁寧にこつこつと編み上げて、それと同時にそれらを改ざんしていく、というとても難しい作業を行いながら小説を書いているように見えるけど。もちろん、海辺のカフカにもそうした様子とその結果がたっぷりと詰まっている。

海辺のカフカは、発売後にすぐ買って1度読んで、それからしばらく放っておいた。なんだか読んでもうまく自分なりに納得がいかない気がしたから。1度読んだときに、おもしろいな、とは思ったけれど、なんか、ぴんとこなかった。クロニクルで達した、春樹なりの総合小説というものがどんな方向にいくのだろうか、とわくわくしていた感じが、すかされた気がしたからだ。でももちろん、新たな方向性に進んだ軌跡、新たな挑戦をしてそれを乗り越えた痕跡、そしてこれまでの春樹、そうしたものが全てきちんと小説に組みこまれて染みこんでいる気はしたけれども、それでも、納得がいかなかった。おもしろかったけれど、でも、何かが違う気がした。でもそれが何だかよくわからなかったので、2回目を読むのが億劫だったし、あまりそのことについて考えたくもなかった。だけど、最初に読んで1年以上が経って、1度目に読んだ印象もだいぶ忘れてきたので、二回目を読むことにした。
やはり読みやすかった。いろいろと文体を変えているけれど、それでも春樹の文章は読みやすかった。
読み返すと、1度目に読んだ時のいろんな気持ちや、その時の自分の状況なども蘇ってきた。

感想としては、もちろんおもしろかったんだけれど、やはりカフカ君が佐伯さんという女性にひかれる、という状況の説得力が薄い気がした。それが父の予言のためによるものだとか、理不尽で圧倒的なくらいの恋の落ち方、ということだったとしても、僕にはあまりピンとこなかった。そこが弱い気がした。カフカ君は佐伯さんに恋をする、という事実をなぞっただけにすぎない感じがした。だから、切ない話だし、随分残酷な話だよな、と思うけれど、その辺のくだりだけ、ねじがきっちりしまってないような、そんな印象をうけた。
佐伯さんが書いたという「海辺のカフカ」という歌の歌詞にしても、魅力がわからない。小説内で、誰かが書いた小説でも詩でもいいんだけど、それを文面を載せる、そしてそれに対しての(小説内での)評価を記す、というのは、とても難しいことだと思う。そこにもやはり説得力というものが必要だ。例えば、「おにぎりを食べたよわたし」という文章があったとして、それを小説内では、素晴らしい文章だ、誰もが心をひかれた、この文章に誰もが涙を流した、と記されていても、読むほうは、ピンとこないと思う。何故なら、その文章を小説内の世界の人がどう評価しようとも、それを読んでいる読者が、それは小説内の評価とは別に、個人的に、どうしても評価してしまうし、感想を抱いてしまうから。だからこそ、海辺のカフカの詩が、どうこう、と言われても、僕はその小説内と自分の感想のずれが気になるし、そういうものだ、と納得させて読み進めるわけにはいかないのだ。そこは、小説内では大事なリアリティだと思うから。春樹がどれだけその詩が良いと思ったとしても、自分で書いた詩を小説内で良いと表記したとしても、そこには必ず説得力が必要で、小説内の評価が絶対的なものとされる以上、読む側はそれを絶対なものとして読もうとするけれど、でもどうしても生身の詩そのものについての感想を抱いてしまうし、それとのズレが大きければ大きいほど、萎えてしまうし、困惑する。世界観全てが崩壊してしまう。きっとそれが僕が1度目に読んだ時に感じたことなのかもしれない。詩を書くのはいいけれども、それについての感想は、小説内の個人的な感想にした方がましだと思う。その詩がかかれた曲がミリオンヒットを飛ばした、と表記されても、それはピンと来ないのだ。例え、この小説内の世界では、この詩のこの曲がミリオンヒットするんだ、それがこの世界での前提なんだ、といわれても、やはり僕の実感とはあまりにも溝が大きい。

何を言いたいのか自分でもよくわからないけれど、でも、その部分以外はとてもおもしろかった。星野という青年を描けたことが、春樹にとって何よりもプラスになったんじゃないかな、と思う。星野青年は春樹の小説に今までにないタイプの登場人物で、すごく好感を抱けるチャーミングな人だ。あとの登場人物はだいたい想像がつくし、いつも通りですらあると思う。

もっともっと書きたいことがあるけど、とりあえず、デウスエクスマキナじゃないけど、何か、概念的存在が、話の進行というか、困った問題に手をさしのべる、というような書き方をする「物語」への挑戦に驚いた。物語性の放棄なのかと思えば、そんなことなく、それですら話の構造の一部に過ぎないから、なんか、考えると頭がぐにゃぐにゃしてきて、つかれた。僕の頭ではまるで難しすぎる問題だ。
でも、ヘーゲルなどのセリフを言いながら、射精するところはステキだ。

とにかく自分でも書いてることがよくわからないけれど、ここで得たものを次の小説にどう生かされるのか、すごく楽しみだ。
次回の小説は、ひょんなことから家に一人きりになった子供が、留守だと思って盗みにきた泥棒をあの手この手でやっつける話だそうです。それのパート5だそうです。名子役誕生の瞬間らしいです。