「けものへん」  大橋ツヨシ

なんか、リブロでむっちゃ推されてて、表紙がすごくシンプルでおもしろそうだ、と思って買ってみたよ。読んでみたよ。
裏表紙の4コマが、おもしろそう、な匂いがして、すごいわくわくしていたんだけれど、結果的に、すごく微妙だなあ、と思った。おもしろいものはおもしろいし、漫画は画力だけでもないや、っていうことを再確認したし、もちろん、画力があれば、もっともっとおもしろくあるんだけど、おもしろくあるための必要条件ではない、というニュアンスくらいで。
んで、何が1番微妙だと思わせたかと言うと、説教臭いというか、これが毒舌としておもしろがられているならば、なんか、違うよな、という感想だった。もちろん、世の中には、くだんない人間がたくさんいて、モラル崩壊だとか、倫理観の欠如とかもまたあったり、そして地球あやういよね、みたいなそういう気持ちは漠然と抱いているし、もちろんその思いは間違いでないんだけど、それを、どや、どや、って感じで、したり顔で押し出されて、ストレートな物言いが毒舌になってるとしたら、僕はあんまりおもしろくないな、って思うし、言葉が多すぎる、と思う。
例えば、「歩き煙草する人間って最低だぜ」ということを言いたかったとして、漫画内で、「歩き煙草する人間って最低だぜ」ということをまんま言っても、こっちはげんなりするし、お腹いっぱいだし、その人間を殺す、という過激な手段で表したとしても、なんか、その、「歩き煙草する人間って最低」って言いたいがために、っていうのがすごく見えてしまって、ギャグ(書いてて恥ずかしい)になってない、というか。毒舌がギャグじゃなかったら、それはもうただの悪く言う、という行為でしかなくて、その悪く言う、ということのそもそもがストレートだったら、何も刺激を受けなくて、本当にげんなりする。
直接的表現がいやなわけじゃなくて、中身があまりにストレート過ぎて、言いすぎていて、辛い、という感じがする。もちろん、シンプルであること、というのは大事なことなんだけど、なんか、毒舌言いまっせ、感が強すぎると、それはただのシンプルじゃなくなる気がする。

そうじゃない漫画は、おもしろいのが結構あって、なるほど、というか、ばかだなー、って思ったりした。でも、うんことか多すぎて、それもまた、うんこが悪いわけじゃなくて、うんこがおもしろいことも分かるけど、だけど、そのうんこうんこうんこ、の連呼は、きっと、おなかいっぱいになる。うんこでおなかいっぱいになる、っていう言い方もおかしいけど。

僕が言うシンプルが1番強い、というのは、多分きっと、園児が笑う「うんこ」というギャグなわけではなくて、うんこがおかしい時に、うんこがおかしい、と言うことや言えることだったりするなわけで、それってうまく言えてるかどうか分からないけど、うんこが1番おもしろい、シモネタが1番おもしろい、とかそういうんじゃないんだ、ってことをなんとなく思った。

例えば、好きな人に、愛している、という言葉は1番伝わるけれど、その相手が、僕のことを知らなかったら、何の意味もなく、強くもなんでもなく、無神経な言葉になるわけだ。