「スクナヒコナ1、2巻」南O太

スクナヒコナ 2 (Feelコミックス)

スクナヒコナ 2 (Feelコミックス)

サブカル、みたいな言葉って、明かに、サブじゃないもの、メインであるものを意識した言い方だなあ、って当たり前のことを思って、自分で「わたしってば、サブカル大好き」みたいなのを言う人って、すごいがっくりする。っていうか、それはお前の立ち位置のための言葉じゃないし、メインカルチャーを意識的に避けていることで成り立つ「自称サブカルマニア」とかが、この世の中にはたくさんいるんだろうなあ、と思うし、そういう土壌があること自体がすでに、サブカルというものが満ちている、ってことだろうし、それはそれで、いいことなんだろうなあ、とも思う。うんざりはするけど。

別に、南Q太を出してきたところで、サブカルだ、とか言いたいわけでもなんでもなくて、今更感だって強いわけだし、それとこれとは別の話なんだけど、なんていうか、いわゆる、オサレ的な漫画とかを、さも、サブカルってます、マイナーなのしか好きじゃないの、という感じ、あの感じ。あの、どこかのサークルの感じ。みたいなのが、すごい気分を滅入らせたりする。だけど、そういうのが好きだ、ということは決して悪いわけではないんだけど、うーん、なんだろうな、あまりにも僕がイメージにとらわれすぎているんだろうなあ、多分。なんか、いまだに、こういうわたし、何何が好きなわたし、メインでない、少し変わったわたし、という立ち位置。そういうものに。
半ば、そういう意識を自分で持っている、持っていようとしてしまうだけに。僕の嫌いな近親憎悪、というような言葉が頭にちらつく。近親憎悪。結構便利な言葉だ。もういやや。自分で、この漫画はマイナーだから、とか、マイナーじゃないかな、いや、それもまた自意識か、とか、そういうどうでもいいことを考えるのが。他人のことで、そういうのを感じるのがいやだ。
だから、もう気にしません。読みたいものを読みます。ということをまず言っておきたかったんだ、自分に。もういい加減、いい歳になっても、そういうことをいちいち考えてしまう自分があほらしくて。

まあいいや。それとこれとは全く関係ない。南Q太。彼女の漫画を読もう、とずっと思っていたのだけれど、ようやく読んだら、この「スクナヒコナ」を読んだら、すごいおもしろかったので、わーい、と思った。おもしろかった。わー、おもしれー。
画も好きだ。無駄がなさすぎ、ってくらいにすっきりしてる。
余白がある、というのは、画に関してだけじゃなくて、いろいろな情報じゃない、こちら側(受け手)の感情やら気持ちを自発的に揺さぶらせる、ので、そういうのは好きだ。きちんとした情報を話が進める中で与えながらも、画とか、空白部分だとか、行間だとか、そういうので間をとる、作品ってのは、好きだ。
この漫画はかなりわかりやすくて、しっかりといろいろな気持ちとか、状況を伝えてくれていて、シンプルだ、と思う。だけど、間が好きだなあ、と思う。そういう間も含めて、ひきこまれる瞬間とか、どき、っとするなあ。
いろんなありがちなのか、よくわからない、だけど、目新しくもない恋愛においての問題が、ちりばめられていて、進むんだけど、なんか、おもしろいなあ、と思う。何がどう、ってよくわからないんだけどな。ありきたりだけど、とか言ったけど、やっぱ、なんか、違うな。んー。かわいげがあるなー。気持ちがリアルなのかな。だから、かわいげがあるのかな。
って、2巻の最後とか、えらいことになってるけど、かわいげとかそういう話じゃないじゃん、とか思うけども、恋愛をしてるときの気持ちって、もうすごい単純だったりして、男だろうが、ていうか、おっさんだろうが、すごい気持ちとしては、かわいかったりするんだけど、そういうかわいさ、とかは、リアルに出てるかなあ、という気がしないでもない、という気がしないでもない。
とか書いてて恥ずかしい。

うまく言えないし、思いっきり私見以外の何ものでもないけど、セリフがシンプルで、それでいてリアルなんだなあ、と思う。説明が多くないのに、きちんと伝わる、読んでいて、わかりやすい。そういうのもまたいいなあ、と思う。だから、いちいち、かわいいなあ、とか思うのかな。女の人とかのセリフだけじゃなくて。

他のも読みたい。

あ。映画になるみたいだ。