「不在」宮沢章夫

不在

不在

宮沢章夫の舞台を1度も見たことがない、というか、そもそも、舞台というものをほとんど見たことがないわけだけども、宮沢章夫の書くものは好きだ。
エッセイが一時期結構流行って、僕もかなりはまっていたのだけれど、彼が最初に書いた小説を読んで、うーん、なんか、わからんけど、おもしろいなあ、と思った。なんか、この人が書くのは、新しいものを見せてくれそうだなあ、という感じがした。それが劇作家としてのものなのかは、よくわからない。他の戯曲集みたいなのを読んだりはしたけれど、やはり、本ではおもしろさがあんまりぴんとこず、エッセイも同じパターンばかりな気がして(それでもおもしろいから読んでしまうんだけど)、早く小説読みたいなー、読みたいなー、と思っていた。思いながらも、彼の芝居を見ることもなかった。だけども、池袋で一時期、カルチャースクールの講座を持っていたことがあって、それに行こうかな、とか結構本気で思ったこともあった。全然、芝居とか興味ないのに。宮沢章夫、どんなこと言うんだろ、とかそういう興味だけで。しかも、自分の恥ずかしいサイトでの日記のような恥ずかしいやつも、1時期、彼のエッセイっぽい書き方をしていたことがあった、というのが、更に恥ずかしい。どうだろうか。みたいな、そういう書き方をしていた。今もたまにしている。いや、結構かなりしている。というか、している。まじで! まじで!

まあ、そんで、気付けば、彼の最初の小説「サーチエンジンシステムクラッシュ」が文庫になっていて、うわー、文庫出たんだし、久々に読んでみようか、とか思ってたら、なんか、著書紹介のところに、05年1月「不在」発売、みたいなこと書いてあってー、やべー、やばくないけどやべー、とか思って、慌てて手に入れた。近くの本屋にはなかったので、慌てて、手に入れた。手に入れた。何回言うのだ。何回言いたいのだ。

そんで、不在ちゃんを読むわけだけど、すげー読みづらい、というのが最初の印象だった。不在ちゃん。ちゃん付け。
わざと、冗長な文章を書いているんだろうけれど、すごいだらだらと文が続いて、うー、すげーだるいー、とか思って、話の転換とかも、次の行にいったら、いきなり違う人物のエピソードになっていたり、話が前後しまくっていて、かなりとまどった。
だけども、どんどん引きつけられていった。まあ、慣れていったわけだけど、そしたら俄然おもしろくなってきた。その話の転換が急なのも、悪くない、というか、そのテンポが、どんどん、不在であるけれど、その話の中心である、男の影に覆われている、というか、男の不在を中心に、不在故に話が進んでいる、という状況状態を際立たせているのかなあ、と感じなくもない。なくもないだけで、よくわかんないから、適当なことを言ったよ。でも、とにかく、どんどん話が展開していくサマがおもしろかった。ぐいぐいとひきつけられた、と、そういうことなのだ。

そして、終わりがまた、なんていうか、なんていうか。うーん。これは、ハムレットを下敷きにしているのだけど、それを東京近郊の地域、という土着性と絡めていくことで、なんだか、抗えない感じ、がすごくする。うまく言えないのだけれど。それが素のハムレットが、どういう感じなのか、よくしらないので、終わりなんかが特にわからないので、何とも言えないのだけれど、この「不在」には、あるようでないようであるようでないようであるかもしれない、土着的な感じ? それが霊的な感じ? まあ、語尾をあげながら、とまどいながら、書くわけだけど、そうした要素とうまく絡み合って、不気味さを出したり、普通の人が普通の人じゃない経験をする普通の土地や町、そしてその日常、という感じがした。その対極であり、一部であるのが、郊外を郊外たらしめている、中心地である、東京なのかなあ、と思ったのが、よくわからないなりの僕の感想だ、というのもおおげさだ。まあ、東京、というのを、トーキョー、と作品の中では書いているわけだけど。

で、結局何が言いたいのかと言うと、わかんないなりに、おもしろかった、ということです。果たして、この話の主人公、って、誰? ていう感じが、いいなあ、と思います。
早く宮沢章夫の新しいのが読みたい、と思う。

あと、これと絡めた劇なり映像なりもあって、その一連のプロジェクトがあるらしいんだけど、だからと言って、劇の公演はもう終わっているわけだし、あっても、行くのだろうか。と思う。
宮沢章夫の1番すごいところが、観に行ったら、分かるのかな。