「ナンバー吾」8巻 松本大洋

吾 8 (BIC COMICS IKKI)

吾 8 (BIC COMICS IKKI)

遂に終わったー。おもしろ漫画、ついに終わったー。堂々の完結、って言っていいんじゃないだろうか。もう圧倒的にこの漫画の世界観が好きだ。すごく好きだ。この世界に住みたい、とかそういうんじゃなくて、この漫画を読んでいると浸れる、その感慨が好きだし、この世界で誰かが言った、あるいは言うであろう、愛している、という言葉が好きだ。

こういうスーパープライベートなモードってのは、鑑賞するというあらゆる行為において、付き物なわけだけど、なんだかそういう感じがこの漫画はすごく強い。ほんとにおもしろかった。大好きな漫画だなあ、と読み終わって、作品が完結して、つくづく思う。ため息が出てしまう。
気持ち悪いくらいに、浸れるもの、ってやっぱり、すごいと思う。もちろん、浸っている者を傍から見る分には、気持ち悪いわけだけど、それでも、その作品と向かい合っている読者ってのは、常に1人であって、ただ、多くの一対一があるに過ぎないわけで、その、数多ある一対一の「一」であることを自覚しようがしまいが、ただ、とにかく、私とこの作品、というような感じで浸ってしまわせる、その作品のトーンでも力でも、まあ、読んでいるわたしが素敵、的な雰囲気でも、何でもいいんだけど、とにかく、そういうしたものを含めてすごいと思うよ。ほんとに。そのことをね、まずは思うよ、ほんとに。

それで、なんだかよくわからない内容だった、とも言えそうなほど、曖昧なところは曖昧で、抽象的で、何が正解なのかわからないような世界だったわけだけど、とにかく、論理は論理でしかなくて、地球は一つだ、僕らは一つだ、ピースピース、みたいな感慨なり信条ってのは、どこまでいっても、それは簡単であるからこそ、論理的でもなく、根拠ってのは、感覚的なものでしかない、ある種、思いこみでしかない、という、そういうスタンスで全ては展開されているような気がした。わからんけど。全然、書いてて意味が分からないけれど。
まあ、だからこそ、誰が、何が正解なのかわかんないや、という気持ちだけは残っていて、気持ちとしては平和がいいよね、暴力いかんよね、という王のスタンスというか感情は1番しっくりきそうなものなんだけれど、その独善的なものの危うさとか脆さとかが、あるし、じゃあ、吾のようにマイペースであくまで俺は俺でやりたいことを好きなものと、というスタンスがいいのか、っていうと、そうでもないように思えたりもした。でも、明かに最後は、あちら側とこちら側、という世界を見せて、そのどちらがいいのかなんて、わからないけれど、まあ、どっちもよかったね、と思えちゃうし、だからこそ、そのどちらのキーをも握っているマトリョーシカ(マリー)の存在が、際立って見えて、本当に、マトリョーシカを中心に全ては回ったなあ、という気がしないでもなくて、その存在感がすごかった。8巻で、マリーという、元もとの存在、マトリョーシカのもう一つの存在が出てきて、話は一気にまとまりを見せていくわけだけど、そのマリーのエピソードのところとか、すごい好きだ。本当に、ぞくぞくっとして、ため息が出た。

結局、何がどうよかったのか、この漫画の世界は、どうなんだろう、生き残ったのは、科学の進歩による人間の発展でもユートピア的な平和でもなくて、ただ、本能のままの個人、ということが、どういうことを意味するんだろう。意味なんてなくていいんだけど、やっぱり、全ては理想でしかないよ、というのもまた違うのかな。でも、美しい理想をかかげた王の最後と、あちら側で生きる、という結果を、それはよかったね、と見るか、切ないね、と見るかで、感じは違って見えるんだろうなあ、と思う。僕は良かったね、と思うんだけど。ここに書いていることは、あくまで僕の感想だし、感じ方だし、いろんなことの意味づけは、どうでもいいことなんだけど、その上で、やっぱり言えることは、おもしろかったなあ、ということだけだなー。まじで。

しかし、いろいろと勝手に解釈をしたりできる余地がたくさんたくさんあって、そういう行為は読者に委ねられているのか、そういうのは必要ないよ、感じるだけでいいんだ、と松本大洋が思っているのかは分からないけれど、こういう読みながら、考えたり、感じたり、どちらも出来ることって、すごくしあわせだなあ、と思う。こういうものが読みたいよ、どんどんと。
すごい漫画だ、ほんと、ページをめくるだけで、不思議な気持ちになる。ぞくぞくして、わくわくして、ほわーんとする。ぞくぞく。わくわく。ほわーん。この表現ときたら。