「ぼくの不思議なダドリーおじさん」バリー・ユアグロー

ぼくの不思議なダドリーおじさん

ぼくの不思議なダドリーおじさん

ユアグローを読んで、なるほど、こういう小説って、あるんだー、と思ったのは、随分前の頃で、ちょうどミニマリズムとか何とかがアメリカで流行って、それからしばらくした頃だったと思う。悪夢的であまりに幻想的な超短編というユアグローの作品は、結構強烈で、すっごい短いから、簡単にどんどん次から次へと読んでいけるんだけど、読んでいるうちに、ほんと、こっちが疲れてしまう、というか、そのわけのわからない世界にぐったりしてしまう、というか、ついていけなくなる、という意味で、ほんと、案外読み終えるのがしんどかった。
いや、すっごい好きだし、ほんとこういうのが読みたかったし、おもしろいんだけれど、疲れちゃうし、めんどくさくなる、というなんだかわけのわからない読む側の感触、ってのも不思議だし、僕には新鮮だったりもして、だけど、このユアグローの世界ってやつは、ほんとうねうねしてて、夢そのもの、みたいな不思議なリアルさと脈略のなさが混在していたから、彼がどんなものを次に書いていくのか、なんて、結構楽しみにしていた。
それで、前に出た本が、相変わらず、悪夢的な短編でありながら、主人公は全部同じで、いろんな旅の道中での出来事、という、中身は変わらずも、パッケージの仕方を少し変えていたので、なるほどなー、と読みつつ、それでもやはりしんどくなったり、おもしろかったり、めんどくさくなったり、わくわくしたりして、なんとか、というか、まあ、最後はぐったりしながら、読み終えたんだけど、この、ダドリーおじさんは、いよいよ一つのお話なのだ。
だけど、ティーンズ向けの話、ということで、あの、夢にありがちなエロティックさとか、絶望感とかは、どうなるんだろうなあ、と思っていたんだけれど、読んでみたら、すごいおもしろかった。夏休みに我が家にやってきた、年中旅をしているおじさんが魔法を研究していて、その魔法のおかげで大混乱、というような、まあこれだけでイメージしやすそうな、よくあるような話ではあるんだけど、なんかやっぱり細かいところでぐっとひきつけられる、というか、飽きずに読めたなー、おもしろかった。
なんか、おじさんが何をやってもダメっていうか、芝居がかっていて、ダメダメなんだけど、そのおじさんへの主人公のまなざしがすごくいいなあ、というか、なんか、愛があるというよりも、暖かくも心地がよい諦め、というか、まあ、おじさんだから、しょうがねえか、というような、そういうのがすごくおもしろい。すごく説得力があるというか。
それで、魔法というのが、全然現実的じゃないわけなんだけど、それでもユアグローの短編みたいに、それはそれで、ありそうな、すごく夢みたいなところと現実的なものの折り合い、というか、溶けこみ具合、混ざり具合が素晴らしいなあ、と思った。なんだか、設定としても、古き良きアメリカ、というような、日本人の僕たちでも、何かしらのアニメやら映画やら小説やらで感じたことがあるような世界観があって、そこがすごくわかりやすく自然に表現されていて、読んでいて、ほくほくする、というか、安心して読めたなー。

この作品を子供の頃に読めたら、ものすごく幸せなことだなあ、と思った。なんだか、とても世界は楽しくも不思議なもの、だからやっぱり楽しいね、みたいな、すごい胡散臭い言い方だけど、そんな気持ちになれる、気がする。
ユアグローは、大人向けの長い作品を書かないのかな。すごい読んでみたい。