「東京奇譚集」村上春樹

東京奇譚集

東京奇譚集

こういう青臭い言い方をいつまで経ってもしてしまうわけだけど、できることならば、ずっとずっと村上春樹の小説を読んで過せたらなあ、と思う。新作やら昔のやらどれだけ読んでも読み尽きることがないほどあふれていたらなあ、そんな時間があったらなあ、なんて。わあ、言ったら言ったで思った以上に恥ずかしいよ。
もちろん、読書というのは、その本を読んでいない時間も含めての行為だ、という言い方もできるかもしれない。だからこそ、新作を待ち焦がれて好きな過去の作品を読んだり、ほかの作家の小説を読んだり、全く小説から離れてみたり、そういうリズムがあるからこそ、新刊を読む喜び(その後にままある失望も含めて)ってやつは大きいのだ、というのももちろんわかる。だけど、だけど、それでも、読みたいなあ、読み続けたいなあ、という欲張りな気持ちは村上春樹に関しては尽きることはない。

んー、なるべく、好きな気持ちをこめすぎないように書こうとは思うんだけれども、充分に、いわゆるミーハー的な物言いになってしまっているのは、重々承知しておりまする。だいたい、春樹ファンなんかにまともに本読むやつなんているのかよ、というアンチ的な気分もわかる、ような気がする。だからこそ、トーンを抑えて書きたいんだけど、そうできていないのは、多分、読んだすぐにこれを書いているからで、そして、僕にとっては、かなり、新作がおもしろかった、という理由にもよるんじゃないのかなあ、となんとなく思う。

という、すげーなげー前置き。

書き下ろしも含め、全部で5つの短編が載っているんだけれども、どれもおもしろかった。まあ、僕は春樹の作品の中でも失敗作じゃないのか、というようなものまでも、というか、ほとんどの作品をおもしろかった、と結構真顔で本気で言うから、こういう言い方もまともじゃないのかもしれないけれど。
まあ、かなりまともな短編を書くなあ、という印象がある。特に今回のは、最初の話は、なんていうか、とても、短編っぽい。うまく言えないけれど、かなりど真ん中、というイメージがある。なんていうか、村上春樹が書かなそうな話だなあ、というか。もちろん、文章も、最初の導入部分だとか、この話は人から聞いた事実だという構造(それが嘘という意味でなく、それをわざわざ説明をする、という意味で)、そういうものは確かに村上春樹っぽいんだけど、なんか、すごく真っ当なことを書いている感じがした。それが悪いんじゃなくて、かなりおもしろかった。意外というか。少しだけ、いつもの村上春樹のものとは手触りが違う印象を受けた。

僕は、2つ目の作品が特に好きだと思った。なんていうか、主人公の女の人のキャラが好きだ。若者との会話がなんかいいなあ、と思う。なんか、いかにも、な会話なんだけど。でも、2つ目の作品の余韻みたいなのは好きだ。

品川猿」は、なんていうか、これって、どういうことなんだろうなあ、と思って読んでいたら、最後で、普通、説明しないはずのところを説明していて、その説明する存在自体が、かなり象徴的で、なんの説明もなくて、こっちはただ与えられているだけで、距離感がすごく不思議だった。いつもなら、ふんわりと残されていたものが、あえて、説明を与えられたことで、その説明を与える者(この場合猿だったり、カウンセラーの人だったりするんだけど)の地に足のついていなさ、脈略のなさ、いかにも象徴っぽい、メタファーとしての存在ばりばり、というのが、最後まで不思議だった。変な話。おもしろいけど。品川猿、だって。

まあ、どれもがおもしろかったです。読んでいる間は、すごく幸せな気持ちになりました。ああ、また早く読みたい。