ジョージ・マイアソン「ハイデガーとハバーマスと携帯電話」

出たー、知的教養文庫。いや、違うけど。全然、僕にとっては知的教養にならなかったけど。難しくて。これ、日本語だよね? って何度も思った。何度も泣いた。訳者、いないことになってる! 僕の中では、訳者、存在してないっぽい! って思いながら、読んだよ。難しい。

携帯電話という身近な機器から、それこそハバーマスとかハイデガーとかのさわりを知れたら、それはそれでラッキーだな、ってくらいの感じで読んでみたんだけどさ、なんていうか、読み終わった後でも、僕の中で、彼等の理論、っていうもの、その位置づけがわからなかった、っていうか、もう忘れちゃった。それくらい流れちゃってるからね、僕の頭の中で。ざるですわ。エラーしまくりですわ。9番セカンド、バブルスくん、みたいなもんですわ。タイムリーエラーですわ。

でも、なんか、自分が何か考える時の刺激になればいいや、知識とかはどうでもいいや、っていう感じでいるので、それもしょうがないかな、って思うけど、それにしても、全然、頭に残らない。系統立てて理解してないんだから。元々、僕の記憶力というのはポンコツ同様だし。なんか、アンティークとかそういう騒ぎじゃないから。骨董、の新しい概念、だから。なんだそれ、意味わからん。

というわけで、この本では、携帯電話批判をしてるっぽいのかなあ、とも思うけれど、どこか諦めに似たところを感じた。批判ですらない、っていうか。
だって、便利だもん。携帯すげー便利。
んで、本には関係ないのかもしれないけど、僕が思ったのは、コミュニケーションの質は、やはり2極化してる、というか、これからもどんどん加速していくのかなあ、ってこと。もはや、2極化、という概念はあえりないのかもしれないけどさ。
一方では、コミュニケーションそのものが目的化している、って思う。どんどんコミュニケーションの中身そのものの意味は薄れていってるというか、殺ぎ落とされている、って感じがする。もはや、行為そのものがコミュニケーションになっている、それに近づいている、ていうか。
例えば、携帯のメールを送って、相手からの返事が遅い、とか、返って来ない、ということで、もやもやとしてしまう、しょんぼりしてしまう、ってのは、中身そのものよりも、相手の返信、そのものに、意味を求めている、っていうか。即レス、っていうこと自体が、何かしらの意味、少なくとも、受け手が何かを感じるとっかかりになっている。それは、メールの中身、というものよりも時には重大だったりするし。ってことで、そういうことで一喜一憂することが僕もやはりあって。

その一方で、わたしを分かって欲しい、でもないけど、コミュニケーションの質、というか、中身を求める、っていう欲求そのものは高まってるとも思うんだけど。だけど、その欲求を形に出きる方法とか手段ってのは、携帯が、より早く、より薄く、という風にメッセージの質がどんどん変わっているのに比べて、コミュニケーションの中身に関して、もっと意味を持たせたい、という気持ちを救い上げる、方法とかは置き去りにされている感じがする。その、欲求との差はどんどん開いている気はしないでもないな。もちろん、相手に何かをきちんと伝えたかったら、会って話すなり、手紙を書くなり、出来るわけだけどさ。案外、欲求はもっともっとそこでは掬いきれないほどに、膨らんでいるんじゃないかな、って感じがする。
でなきゃ、たくさんの人がわざわざネット上で自分の文章を書かないよなあ、って思うんだけどな。そこでも、まだ足りない、何があるのかな、って思う。

あ、今、書いてて思ったんだけど、携帯そのものに、アプリケーションという「意味」は付加しているよね。ゲームや、ナビとか、辞書でも、もちろんネットでもなんでもいいんだけど、どんどん機能が付いていってる。その機能そのものに意味があることで、どんどん、僕達がそれを用いるという行為には意味がいらなくなってるのかなあ、って。自分で書いててよく分からないけれど。もはや、携帯電話は、携帯の何かしら、になっていて、その何かしら、自体に明確な意味がありすぎて、使う側そのものに意味がいらなくなった、ていうことなのかな。
だからこそ、便利になればなるほど、僕達は自由になった気がして、案外不自由なのかもしれないね。意味というものに限りがある、ということでは。

もちろん、それは僕は悪いことじゃなくて、いいことだと思う。便利だから。だからこそ、そうした便利なものを使わないところで、どうやって、意味がある、中身を持たせられるのか、って考えてみたいよな。もちろん、この世に意味があることなんてないんだ、なんて言い方も出きるわけだけどさ。

でも、誰でも、相手が感動するような手紙を書きたい、って思うことあると思うんだけどな。手作りのプレゼント、って、時に、すごい嬉しかったりするのは、今でもあると思うんだけどな。もちろん、手編みのマフラーがいいとか、そういうレベルの話じゃなくてさ。

以上のことは、全て、片山右京が言え、って言ってました。鈴鹿で言ってました。でも言ったあと、リタイアしてました。いろんなものからリタイアしてました。