「西瓜糖の日々」リチャード・ブローディガン

おもしろかったし、とても読みやすかった。さすがに詩人だなあ、という感じ。
一章一章が短いので、テンポ良く読んだ。かなりおもしろかった。
この人の書くものはイメージが広がりやすくて、読んでいて心地良い。そのイメージに身を任せるように、作品の世界観の中で浮遊するかのように、漂っている、ってのは、ある種、贅沢な読書の仕方だと思う。

本当に抽象的な話だ。これを読んで、高橋源一郎の初期作品がブローディガンの影響がどうこう、とか言われるのが改めて納得できた。まあ、どちらも好きだけど。ああいうわけのわからなさ、ってのはすごい好きだな。もちろん、ぐぐぐっと、ストーリーが展開していってその圧倒的なスケールに呑まれていく、っていう読み方もまたすごい楽しいけれど。

だからと言って、ブローディガンが書くものは、なんだかぼんやりとした話か、と言うと、そうでもなくて、とてもシンプルなのに胸を打ったりもする。僕は詩のことはよくわからないけれど、ブローディガンの書いた詩はすごい好きだ。これもまたイメージがすごい広がって、とても心地良いのだ。

ブローディガンといえば、「愛のゆくえ」も「アメリカの鱒釣り」も大好きで、とてもおもしろい。なんか、わけわからんけど、おもしろい。ってのがすごい素直な感想だ。でも、やはりイメージが広がる小説で、こういうのもありなんだ、って、初めて知った時の感動というか衝撃とかを思い出した。

あ、あと、なんか「アメリカの鱒釣り」が、本屋で「アウトドア・レジャーコーナー」に並べられていた、というほんとか嘘かわからん話を思い出した。
確かに、わかるけど。ありえるけど。

とにかく、文庫になってよかった。ただ、やはり、というか、翻訳が古くて、ちょっとね、「それは、わたしの気に入った。」というような文章とかって、結構ひっかかる。正しい文章なのかもしれないけれど、今となってはあんまり慣れた感じがしないなあ。と思う。
でも、それでも中身はいつまでも新鮮で、心地良く読めるのは、優れた作品だからだと思うし、やはり、想像力に満ち溢れているから色あせないのだなあ、と思って、かなり感動した。

でも、やはり、作品全体に、どこか脆さというか、危うさ、というのが漂っている気がする。ブローディガンが自殺した、というのを知ってるから、そう感じるのかもしれないけれど、それでも、なんとなく、微妙なバランスのところで書いているなあ、ってのを感じてしまう。
もし、ブローディガンが生きていたら、どんな作品を書いたのだろう。もう小説を書くことをやめているかもしれないな。断筆宣言ですか。

え? 館ひろしさん、自伝「泣かないでオンザロック」は、館さん自身の諸事情により、執筆中止?