「好き好き大好き超愛してる。」 舞城王太郎

好き好き大好き超愛してる。
ようやく舞城王太郎の作品を読むことが出来たよ。いやー、長いみちのりだった。そもそも、彼が芥川賞から落選しなかったら、読むことなんてなかったと思う。興味がなかった、というか、芥川賞の選考評を読まなかったら、興味を抱かなかった。
なんか、その前に出てた本を立ち読みしたときに、松本人志のことが出てくる話があって、おお、と思いながら、ぱらぱら読んだら、ちょっとあまりにあざとくて、松本人志で話が描けちゃうよ、みたいな匂いがぷんぷんとして、そのちょっとしたアイテムっぷりがあんまりおもしろく感じなかったので、興味をなくしていたんだけど、芥川賞選評で、石原慎太郎がろくに触れずに全否定していたので、なんだなんだ、これ。とか思って、すごい逆に読みたくなった。だって、受賞した作品があまりに興味なかったから。ノブ・モリオだっけ。あ、モブ・ノリオか。
こないだ、クイックジャパンで「笑い飯」の特集の時に、文学で笑いわかるやついない、だからだめだ、みたいなことを言っていて、なんだ、このモリオじゃなくて、ノリオめ、とか思って、すごい恥ずかしいなあ、と思って、それを自分で言うか、とか思って、げんなりしたんだけど、ていうか、お前、その対談、全然おもろなかったやん、とか思って、ひどくがっかりした。もうやだ。そういうの、やだ。すごく恥ずかしい。じゃあ、僕も言うよ。
お前が、カウンター的な位置として、文学界を「笑いがわからんからだめだ」と言えちゃう、そういう状況も含めて、文学界ってのがあるとしたら、だめなんだよ。
僕なんかが言っちゃうくらい、きっと、すごく、だめなんだよ。これは愚痴なんかでもなんでもなく、リアルに、そうだよ。

というわけで、そんなノブ・モリオじゃなくて、モブ・ノリオが選ばれ、落選した舞城王太郎の作品。はっきり言うて、買うのも恥ずかしかったし、カバーをしないで読むのも恥ずかしかった。表紙はどピンクだし。
でも、おもしろかった。愛について、描きながら、あらゆることを描いていた。シンプルに描きながら、話として何層かになっていて、その塗りつぶし方がおもしろかった。うまく言えないけれど、体力ある人だなあ、と思った。

よくしらないけど、ものすごい量を描く作家みたいだし、そういう意味では、体力あるんだろうけどさ、推敲をたくさん重ねたとか、そういう意味でなくて、体力あるなあ、と思った。
エピソードの重ね方が嫌いじゃないな、と思う。うだうだした感じだとか、すごい好きだ。

そして、タイトルのお話とは別にもう1つ、入っていて、それもまたすごいおもしろかった。正直、読みながら勃起もした。なんていうか、官能的でもあった。
最後は、すごく自己破壊的というか、壊して壊して、という終わり方、という印象だった。でも、ぐちゃぐちゃしていて、これはこれで好きだ。
そして、すごいのが、フォントや紙を作品によって使い分けていることで、こういうのは大事だし、やるなあ、って思う。こういうところに気を遣っている作家はすごく好感が持てるなー。中で自分で描いた絵とかも載っているんだけど、ちゃんと描ける人はこういうことをどんどんやったらいいのに、って思う。

阿修羅ガール」が積読状態になっているので、読んでみようと思う。なんだか、楽しみだ。