「地球のはぐれ方」 村上春樹 吉本由美 都築響一

東京するめクラブ 地球のはぐれ方
すごい表紙の本だなあ、と思いながら、そして共著か、と思いながらも、春樹の新作だ、ということで、買った。そして、泣いた。笑った。いや、泣いてもないし、笑ってもないけど。

これは、いわゆる、ゆるーい観光地(土地)を訪れて、そのスポットを様々な見地から、3人がレポートする、というような中身の本なんだけども、なんていうか、まあ、おもしろかった、と思う。やはり、物を書いて、相手に読ませる、ってことは、どれだけイメージを想起させるか、とか、直接的行動に走らせるか(もしくはそういう欲求を抱かせるか)ということが、何よりも大事なんだなあ、少なくとも僕はそういうのが好きだし、惹かれるところなのかなあ、なんて思ったりした。
なんていうか、まあ、春樹の小説を読むと、ビールが飲みたくなるね、とか、サンドイッチが食いたくなるね、とか、ピナコラーダだね、とか、シェーキーズでピザをやたらと食べたくなるね、そして、「キキは僕が殺したのか?」とか聞きたくなるね、とか、そういうことなんじゃないか、って思う。そういう、無性に、こうしたい、とかそういうイメージ。まあ、それが、作品に酔った読者、ってやつなのかもしれないけど、読書がどこまでいっても個人的体験のようなものである以上は、読んでどうなるか、どう感じるか、にしか、興味はないわけで、だからこそ、そういう、〜〜したいなあ、とかいうイメージって、染みこむようにやってきて、そのうち、自分の内側からじんわりと浮き上がってくる、っていう感じがして、だからこそ、そうさせる文章や小説が好きなわけです。
それは、映画や漫画で、リアルに絵を見て、感じる、欲求とはまた違う種類で、だからこそ、その、欲求、というのは、逆に、リアルだなあ、って思う。すっごいわかりにくい文章だけど。逆に、とかってなんだよ、って感じだけど。

そういう前提で言うと、春樹の書いたやつは、おもしろかった。おもしろかったし、この場合、旅行のレポートだから、そういうところに行きたいなあ、と感じるものが多かった。
少なくとも、サハリン編での、チェーホフを交えたくだりとかは、すごい好きだ。この本の中で、1番、ぐぐぐぐ、っときた箇所だ。もちろん、だからといって、サハリン行きたい! とか思うわけではないけど、サハリンに興味はわくし、中身で触れていた、チェーホフの「サハリン島」は読んでみたくなる。やはり、こうやって春樹が自分の思い入れのある作家について絡めて書くと、ぴりりとしまってくる感じがする。

だけど、あえて、軽薄なタッチで書こう、みたいなノリが見えると、途端に春樹の文章は、なんだか好きじゃなくなる。わざとらしいというか、へらへらしてて、その感じがやだ。というか、もう若くないんだなあ、なんて、思ってしまう。そういうのって、すごいやだ。春樹のエッセイももちろん好きだけど、最近の、わざとなのか、完全に、そういうおっさんになったのか、わからないけど、ちょっとなあ、って思わないでもない。必死に若くありたい、っていう感じとかじゃなくて、なんだかなあ、って感じ。
クールなのがいいとかそういうんじゃなくて、なんだろうなあ。普通のさらっとした文体はいいんだけど、あえて、おもしろいこと書いてますよ、的な部分とか、そういう箇所だけは、すごい冷める、とか思った。

なんか、全然、春樹のことが好きじゃないみたいな書き方をしてしまったけど、ほんと、なんだか、どんどん、歳に比例して、軽さをアピールしようとしているのかしてないのかは分からないけど、それを平気で押し出している感じが、ちょっと、げんなり、な感じがする、っていうだけなのだ。あとの部分はやはりエッセイでも、すごい好きだし、とても、何かしらを動かされる、ものを書くし、それは、この本で言えば、他の二人とは全然違うし、やはり作家は、こうやって書いたもので人をどこかに「MOVEさせる」ということが出来るのだなあ、ってつくづく思った。MOVEさせる、とか書いて、すげー恥ずかしい。ねえ、僕とTEAしない? 的物言い。

ねえ、ポケモンをFIND AND GETしない? 的物言い。

まあ、まずは見つけなあかんから。