「みんな元気。」舞城王太郎

みんな元気。

みんな元気。

すっかり舞城王太郎に夢中になっているぜー。だからって、好きだ、っていうよりも、なんか、目が離せない、っていうか、どんなの書いてんのかな、っていう興味がすごく強い。それが好き、ということでもあるんだろうけれど、なんか、絶対、おもしろい作品を書く、というイメージよりも、当たり外れがでかいけど、すっげーパワーがある、っていう感じがする。僕にとっては、そういう作家で、とりあえず、その、圧倒されそうな作品を読みたいなあ、と、どきどきする。だけど、外れも読みたくない、っていうそういう気持ち。
で、みんな元気。なんだけど、この単行本には何作か作品が収録されていて、読んでみたら、表題作が僕としては、すごいつまんなかった。がっかりした。でも、本当にパワーがあるというか、体力があるというか、結構、芯がしっかりしている作家さんだなあ、という印象があって、それってのは、ああいう口語体で、文体ってなに? って感じがしながらも、ぐいぐいと推し進めている感じとか、次から次へと、こういう口語で何かしらを綴ったり、伝えていくことって、本当に肉体的にも精神的にも疲れることで、終始休まることがないその語り部的な位置をこしらえての推進力や展開力は、すごいなあ、と思う。しかも、その中身はおもしろいかどうかはともかく、よくできているかどうかはともかく、いつも刺激的だ。だからこそ、僕はすごい興味があるのだー。

それで、表題作は、あんまりだったなあ、という印象はあるんだけど、いくつかのシーンが明確に
頭の中に残るし、暴力的だったり、ぐちゃぐちゃなシーンだったりしても、その頭に残った感触は、悪くないし、刺激的だったりするから、やっぱ、すごいというか、興味はつきないというか、他の作品も読みたくなる。
そして、つまんないなあ、と思った作品でさえそんな印象を抱くわけで、他の作品はすごいおもしろかった。特に、「スクールアタック・シンドローム」は、良かったなー。テーマとしては、ありがちというか、少年の暴力、その暴力の連鎖性、シンクロニシティとしての暴力、みたいな、そんな言い方も出来るのかもしれないけれど(もちろん出来ないのかもしれないけれど、あくまで僕の印象としては)、それでも、他のそういうテーマというか暴力的なものと何が違うのかな、わかんないけど、登場人物は、饒舌でありながらも、たくさんのことを言葉にして、常に喋り続けて、いろいろと思考の流れがある種垂れ流しになっているのに、それでも、やっぱり、いろんなことがよくわかんないし、わかんないことはわかんない、というのを完全にオープンにしている、そういうところがおもしろいなあ。意味深だけで終わらない、というか。なんか、一方的に喋られて、説明された気にすらなりそうなのに、あれ? って残る疑問付。そういうのがおもしろいのかなあ、とも思う。でも、そういう言い過ぎないこと、あえて隠すこと、を饒舌によって(意図的でないにしても)隠す、ということって、相当難しいと思う。
とにかく、おもしろかった。そういうテーマらしいことだけを抜き出してみると、どの作品も結構似てるはずなのに、今のところ、全然、またこれかー、という感じはしないなー。

舞城王太郎に関して、いわゆる、文芸誌で掲載されていたような作品しか僕は読んでいないので、エンタメ系の本として出ている、初期の作品はどんな感じなんだろうなあ、と思う。そっちが好きな人は、今のこういう路線(純文学村の外から、「小説」を書く、小説ごっこ的なアプローチをする)作品というのは、どうなんだろうなあ、どういう印象を持つのかなあ。つまんないのかなあ。王太郎は、前の方がよかった、という感じなんだろうか。

とりあえず、デビュー作を読んでみようと思う。