「阿部和重対談集」阿部和重

阿部和重対談集

阿部和重対談集

タイトル通り阿部ちゃんの対談集。全然、ちゃん付けしたくないし、した意味もわからないけど。まあ、なんていうか、この本を読むと、いかに文学界(もう書いてるだけでさぶい)が、内輪的なのか、閉鎖的なのか、そして死にそうな世界だからこそ、より結束して生き延びましょう、みたいなそんなノリなのか(無意識的にしても)がよくわかる。阿部和重の対談でさえ、そう思ってしまうんだから、よっぽど事態は深刻だろうと思う。というか、深刻だと思っているのは単純にその世界の人達だけであって、周りはなんとも思ってない、興味すらない、というのが実状だ。
そのことをわかってはいるんだろうけれど、なんだか有効な手段もなく、愚痴だったり、ずたぼろのプライドだったり、自分は革新的です、みたいな態度の表明だったりして、痛々しい。
そんな対談ばかりだった。なんていうか、エンタメと文学的なる雰囲気を行き来できるような舞城王太郎の一人勝ち(ってわけでもないのかな)、な状態であることが必然のような気がする。

もちろん、僕のこのような見方というか感想ですらすでに古臭くて、何の意味も持たないってのは事実なんだけれど。おまけに、そういう痛々しい対談が僕は好きだったりするので、読んでいておもしろかったんだけれど。そもそも、対談なんて興味ない人以外読まないわけだし、まあ、こういう本はこういう本でありなんだろうなあ、という感じ。
本当に、なんていうか、対談に出てくる文芸評論家胡散臭い読み解きっぷりが、おもしろいといえばおもしろい。もうある意味では、評論は小説以上に自己満足だよなあ、って感じ。それが悪いわけではなくて、そのことに自覚的であって欲しいなあ、とはなんとなく思う。そういう意味でここに出てくる人はまだよかったのではないかなあ、と思うんだけども。

あと基本的に、阿部和重は自己言及しているように、作品について喋りすぎだと思う。しゃべりたがり、というか。言わずにはいられない、というか。それが、候補にあがりながら何年も芥川賞を取れなかったことと関係ないとは言えないんじゃないのかなあ、と思う。それでもまあ、最終的には取っちゃえばいいわけだけど。だけど、取ってしまったことで、散々、自分は距離を置きたい、というポーズを取り続けていた、文壇だとか文学界的なものに、いやがおうにも呑まれてしまっている感じがなくはない、というか、それもまた不可避なものなんだろうけど、そのことに阿部和重が自覚的に、そうじゃないんだ、俺は違うんだ、俺は、それを乗り越えるんだ、というような感じが見られると、またげんなりしちゃうのも事実だったりするのが、僕にとっては、なんだかわけわからんくておもしろいなあ、と思う。まあ、どっちにしろ、結局は作品がおもしろければいいんだ、って思うから、そういうアンビバレントっぷりとかも見てて楽しいし、がんがんやっちゃえば、なんてすごい適当なことを思いながら、こういう対談的なものを楽しむのもありで。

正直、好きな作家や興味のある作家が、作品以外で何を書いていようがどんな対談をしていようが、それはそれでいろんな意味でおもしろく読める。だからこそ、僕にとってはそういう作家のボーダーラインぎりぎりの阿部和重が何か喋りたがったり、その一方である種のポーズを取りたがったりしている様子を見るのは、なかなか、おもしろくもあり歯痒くもあり、いらいらもしてしまうことなのだ。