「阿修羅ガール」舞城王太郎

阿修羅ガール
うおー、これもようやく読めたぜー。ということで、舞城王太郎の作品を読むのは2つ目ってこともあるのか分からないけど、新鮮で刺激的だった。
出だしの一文がいい。

「減るもんじゃねーだろとか言われたのでやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。
返せ。」

だって。いやー、すごいいい始まりだなあ、と思う。理由とかわかんないけど、すごく良い始まりだ。かっこいい。痺れる。
やっぱり若い人の小説はおもしろいなあ、と思う。この人のは特に野心的だ。ありがちで、ベタだけども、なんか、すごい力がある。パワーあふれる、って感じ。いろんな作家のを下敷きにしながら、それを貪欲に取り入れて、そしてうねりを出す、っていう意図は成功してると思うし、あとは、読んでいてテンポがいいなあ、と思う。
女子高生の一人称で始まる最初のあたりは特におもしろい。めちゃくちゃで、下品で、頭おかしいなあ、と思う。おもしろいよ。

なんか、わざとらしいくらいに、固有名詞がにくい。いや、まじで憎たらしい。なんか、ブシェーミを出すセンス、というか、コーエン兄弟の名前を出すセンス、そのオレのセンス、という感じがぷんぷんと匂ってきて、そういうのがなんか、あざとくていやだけど、でも、多分、今、意図的に小説を書く、ってのは、そういうことなんだ、とも思う。うまくいえないけど、パルプフィクションをわざわざ出すところ、しかも、マーセルスが犯されているところ、とかがもうね、すごいあざといなあ、と思う。あざといけど、なんか、やっぱ、おもしろいと思う。そういうポイント一つで、思ったりする。

だけど、途中の部分、ラッセ・ハルストレムの作品からインスピレーションを得た、とか敢えて書いた部分は、ぴんと来ないし、なんだか、やりたいことが頭でっかちになって、うまく消化できてない気がした。あんまりおもしろくないなあ、と。なんか、観念的過ぎて、分からなかった。あちら側、こちら側、という書き方をして、現実に踏みとどまる、という意識をより植え付けるのなら、もっとあちら側、というところを、観念的だけじゃなくて、観念的だからこそのディティールをきっちり描いて欲しかったし、そこを観念的だからこそ好きなように書く、とかインスピレーションに任せて書く、とか、それだけで留まっているのはもったいないなあ、と思う。すごく難しいことだと思うけど。
でも、そういう試みは、何かの踏襲だとしても、すごい好感が持てるし、興味があるし、舞城王太郎が書けば、舞城王太郎らしさ、というのが現れると思う。

だけど、全体的におもしろかった。終わり方も、すごいほほえましいというか、ほっとして、なんか、読後感が良かったです。んー、やっぱり、すごいぜ、舞城王太郎